作曲家 松﨑国生 インタビュー 2050年の未来に向けて〜『放課後のチャイム』のモティーフから繰り広げられる吹奏楽部とピアノとの喜劇的協奏曲(2/2)

音楽家として対峙するDX(デジタルトランスフォーメーション)

昨今DX という言葉がビジネスシーンで頻繁に用いられます。「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義されていますが、そういった意味での松﨑さんのご活動の変化はありましたか。

松﨑 当たり前のことですが、インターネットに上げた作品がアーカイブとして機能するようになったことが転機となりました。インターネットに作品が上がることで、それらは自動的に自分というコンテンツを宣伝してくれるようになります。そこから芽を見出してくださった方から、仕事の依頼頂くことが増えました。意外だったのは、「ネタ楽譜」を見て作曲を頼んで下さる方々が多いことです。それも、インターネット上で完結のものではなく、生演奏でリアルの現場があるものが多く、嬉しい驚きでした。

もしかすると、依頼者の方は松﨑さんのアイロニーを理解しているのかもしれませんね。

松﨑 そうかもしれません。実は、Twitterでのネットワークが広がりに比例して、人脈の広がりもありました。話の合う方、親しい方々とのつながりも可視化されてきたりする。従来の対面式だけでは可視化しにくい関係性が浮かび上がってきたのは面白い発見です。更に、今までにはない人との繋がりも生じてもいきます。

今後デジタル方面で挑戦してみたいことはありますか。

松﨑 デジタルの世界において、どうすれば一番良い形なのか、ということは常に考えています。「ネタ楽譜」というコンテンツを用いて、表に立つとしたら、それはどういうアーティスト像なのかとか。自分は曲や作品を作っていきたいので、そこに向かうにはどうしたら良いのか、更に大きな予算を得るにはどうしたらいいのか、を考えています。

Youtubeにも作品をあげていらっしゃいますね。

松﨑 はい。ただ、拡散のされ方を見ると、Twitterの方が相性は良いみたいです。ただ、Youtuberは、素晴らしい職種だと思っています。自由で、新しい時代の仕事という感じもある。ヒカキンさんはじめ、人を楽しませるプロフェッショナルの方々がいらっしゃいます。もし自分がするなら、と仮定すると、アーティストとしてのYoutuberなのか、それとも、Youtuberの中のアーティストなのか、とも考えたことがありました。

文化芸術の事業化と2050年の未来像

これからのご活動について松﨑さんの指針のようなものがあれば是非教えて下さい。


松﨑 「中庸さ」というところがキーワードになっています。見られないと嫌な性格ですので、「芸術」「商業」が半々にあるところに自分を置きたいと常に考えています。面白いなと思ってもらえること、楽しんでもらえることが、フィロソフィー(哲学)と同等に大切なことです。

少し詳細な質問になりますが「面白さ」について詳しくお聞きしても良いでしょうか。

松﨑 「興味深い」と「下品に面白い」という2つがあると思っています。神聖に近いか、俗物に近いか、です。俗物に近い方は、密度という意味では動物に近い印象があり、軽やかで本能的です。反して、神聖は、理性に近い。そこにわざと「荒」や「ジョーク」を挟み込むことで「アイロニー」になる。ハイコンテクストだからこその優越や齟齬が生じます。また、ヒューマニズムと笑いは切り離せないと思っていますので、同等にそこまでを問うべきだと思います。

では、「商業」との結びつきについてどのように考えていますでしょうか。

できる限りは自分でやろうと思いますが、どうにもならないところもあるので、そこに関しては他の方にも任せていこうと思っています。様々な領域に対しての発言力が強くて、エネルギッシュで、情熱がありつつ、フィロソフィーもある方と組みたいですね。泉志谷(忠和)さんなんかはまさにそのものですが、そういった方との出会いはアーティストとしてもとても大切です。

これから松﨑さんがご活躍になるであろう2020年以降の数十年、例えば2050年の未来像とはどのようなものだと考えていますか。

松﨑 時代には、個が優先されるか、集団が優先されるか、というダブルスタンダードがあると思っています。例えば、人と同じことをしたくない、がマジョリティになれば、それはもう個性ではなくなってくるのではないでしょうか。ですので、個に力が求められれば求められるほど、平均化していきます。同時に、シンギュラリティも予測されているのが現代です。それは、自由に快感を得て、自由に苦しみを得て、自由に死ぬ、といった時代かもしれない。

なるほど。その中で必要とされることは何だと考えていますか。

松﨑 それは、感受する自分を守らなければいけないということです。デカルト『方法序説』の「我思う、ゆえに我あり」という世界観です。フラットな世界になれば、今よりもなお、アーティスト、という概念がぼやけてくるのではないでしょうか。万人がアーティストであり、万人が聴衆である時代とも言えるかもしれません。その中で、私は一消費者にならないよう、気をつけていきたい。一見、アウトプット行動に見えて、単に消費であることが増えてきているように思います。コマーシャリズムに乗せられた行動は、やはり消費です。「自己」というものをより意識し、大切にしないといけない時代だと考えまます。自分を守るもの、自分の大切なものや人を守るためのものを作っていきたい。それはもしかすると信仰心に近いのかもしれません。ただ、粛々とそれをやる。それが自分なのだと思います。

『放課後のチャイム』のモティーフから繰り広げられる吹奏楽部とピアノとの喜劇的協奏曲

従来の短い『ネタ楽譜』ではなく、長編のピアノ協奏曲を作曲されたと伺いました。

松﨑 はい。実はこの曲は、ある高校の吹奏楽部とピアニストの方と初演の予定だったのですが、COVID-19の影響で残念ながら中止になってしまい、お蔵入りしていた作品なんです。『ネタ楽譜』の語法を生かした書き下ろしだったので、まずは動画としてリリースすることにしました。なんと、この曲はピアノ協奏曲なのですが、放課後のチャイムから始まります。

冒頭は、本当に学校にいるような気持ちになりますね。とてもユニークな始まりです。

松﨑 最初の聴きどころは、皆さんご存知のあのチャイムの響きが、まるでラヴェルかのように広がりを見せていくシーンです。そして、多くの方がご存知の有名曲、ムツィオ・クレメンティの「6つのソナチネ」作品36を用いてピアノを練習する人が現れ、物語が始まります。

楽譜に人格を持たせる独特な手法に加え、多くの方々が共感される学校生活に溢れる音楽体験、まるで新しい交響詩ですね。

松﨑 そうですね。学校の放課後の音楽室で起きるかもしれないようなストーリーを内在させた作品に仕上げました。今までの作品同様に、アイロニーとフィロソフィー(哲学)を込めていますので、何度でもお楽しみ頂ける作品になっているかと思います。是非、お聴き下さい。


PROFILE
松﨑 国生 Kunio Matsuzaki

1992年生まれ。高知県出身。
くらしき作陽大学音楽学部音楽学科弦楽器専修ヴァイオリン専攻卒業。
平成25年度くらしき作陽大学特待生。同大学平成25年度卒業・修了演奏会出演。2013年、第9回「I am a solist」でソリストとして岡山フィルハーモニック管弦楽団と共演。2014年、第47回岡山県新人演奏会出演。2014〜2019年、ゲーム音楽によるプロ・オーケストラ「JAGMO」に編曲家として参加。ここでの編曲作品はNHKホール、サントリーホール、東京芸術劇場、東京オペラシティコンサートホール等で演奏された。NHK音楽祭2016〜2019「シンフォニック・ゲーマーズ 1〜4」に編曲家として参加。2016年、第42回先進国首脳会議(通称伊勢島サミット)G7倉敷教育大臣会合G7歓迎レセプションにて自身の編曲作品「Folk song medley for G7(弦楽四重奏曲)」を演奏する。2017年、岡山県にて作曲作品個展【松﨑国生作品個展 – そら・ぐらちあ – 】を開催。長岡京室内アンサンブル公演など演奏家としての出演多数。Twitterにて投稿した「頼んでもいないのに練習中に邪魔しに来るジャズ科の先輩」が約130万回再生、65,000いいね、25,000リツイートを獲得するなど、SNSやYouTubeにて「ネタ楽譜」による創作も展開中。これまでにヴァイオリンを宮内康恵、森悠子の各氏に師事。